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「カップで自分を量る」とは [Studio Life]

社会や他人において、自分の存在がどれくらいの物なのかを知る事、なのかな。
「カップで自分を量るがいい」はとても不条理な話です。
『自分がなにもしなくても、居るだけで人から好かれ周りに人が集まって来る男がいた。
それが突然、何があったか分からないけれど、全く反対に嫌悪される様になる。
それもその男の身近にいる人から始まり、広がって行く。
誰もが男を避け、暴力を振るうまでになる。
結局、男は逃げ出して、山の中で目撃されたのを最後に姿を消す。
その後、また男は崇められ、銅像が建てられる』

最後は死んでいるのかいないのか、はっきりはしなかったので、あのラストの場面で生きて登場したら、どうなるのだろうと思ったが、それはなかった。

流行と言うキーワードもあったけれど、ちょっと流行とも違うなと思った。
突然気持ちが変わった人たちも、今まで好きだったのに、と戸惑う。
今までは好きだったのにと頭ではわかっていても、受け入れられない。
それは感情の方が理性よりも勝っているからなのだろう。
理性では、これはおかしい事だと思っているのだが。
その、理性をも吹っ飛ばしてしまう感情と言うのが怖い。

一方で、その男もそんな風になってからでも、自分の人に好かれてしまう性格が、自分を特別だと思ってしまった気持ちを分析して、不遜な部分を反省もする。
それでも、一切受け入れて貰えない絶望。
ただ、気持ちが悪いと。
本当に、そんな風に言われたらどうにも仕様がない。

人間って本来は感情を抑えられるから、集団生活が出来るんだと思う。
許容範囲と言うのもあるだろうし。
そう言う物が一切なくなった時の怖さ、を感じた。

ああ、凄い話だなーと遣り切れない思いもありつつ、
でも、面白かった。
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